電車とバスの中

電車
月曜日の夜8時、常磐線下りの各駅停車は、新御茶ノ水駅を越えると郊外の住宅地に帰っていく会社員やOLでむせ返る熱気に覆われる。気のせいか、自分の母親位の年齢のおばさんが、この時間帯に増えてきた気がする。(お父さんのリストラとかの影響がこんな所に出てないといいが・・・。(間違いなく出てると思うけどね。))そのような、雑多な人達でが詰め込まれている電車内には幾つかのランク付けされた場所がある(俺基準)が、ドアに寄りかかれる3等地(俺基準)を確保したOLが、前に立つ会社員の汗ばんだ背中との間に文庫本を開き自分の世界に入っている。その耳には、MP3プレーヤー。本当に小さな自分の世界だ。小説が佳境に入っているのか、その顔に喜怒哀楽が交錯する。
ふと、彼女の周りの数人に目を移すと、殆どの人が同じような空間を確保し、松戸か、柏か、取手までの時間を自分の時間に一生懸命に変換して楽しんでいるのだ。
うーん、皆一緒だ。
俺は、俺でそんな人たちを見て、楽しんでいるんだし。そんなドラマの詰まった電車を見て楽しんでいる人も、どこかにいるんだろう。

バス。
真っ黒で、しっとりとして、でもさらっとしてて、シャンプーのCMに出てきそうな髪をショートカットにしたちょっと年齢を重ねたOLさんが、バスに乗ってきた。かっこよくて、思わず見ちゃった位だから、綺麗な人だ。バスの車内は、いつものように平成18年とは思えない微妙な暗さに照度を整え、今日はその暗さをつんざく女子高生のおしゃべりもなかった。そのOLさんは、ちょうど自分の前の席に座った。そして、そのOLさんの二人掛けシートの通路側の隣席には、はげオヤジがすわった。はげオヤジは、そのOLサン越しに窓の外を見る振りをして、そのOLサンを何度も見る。バス停が2つ目を越えたあたりになると、そのOLサンの伸びた背筋に、オヤジと逆方向への傾斜がつき始める。そんなに嫌なのに、背筋を伸ばしたままのOLサンに感銘を受けた。関係ないが、このOLサンは、毎晩お風呂で、シャンプー、リンス、トリートメント等の徹底的なケアをしているのだろう。毎日の朝も、その支度にかかるであろう手間は想像に難くない。彼女のような、日本の宝は、各地に沢山いるのだろうし、その立場はOLに限らないだろう。小学校、中学校、高校、大学、そして社会人になってからも、髪の毛のケアを始めとして、一つ一つの課題を努力して、成功するように、こなしてきたのだろう。
そんな彼女を見て、思った事。
高校受験(自分の場合)を始めとする、様々の大きさの階段。それを乗り越えた人たちの自信は、その階段の大きさだけ持続するし、その次の階段を上る時の動機付けに大きな影響を与える。自分のように、そのような大きな階段を避けて小さな階段を沢山上ってくると、大きな自信がない。実力がその階段に並んでいたとしても、小刻みな階段は良くも悪くもすぐに次の階段を見出してしまう。こういう階段は、たちが悪い。常に、到達感が無いのだ。人からしてみれば、もう良いだろう。と思う場所でも、不安なのだ。すぐ上の階段が見えると言う事は、同じくらい下へ行く階段もみえているのだから。

ちょっとまとまらなかったけど、ほとんどの人は同じような人生を淡々と生きています。それを外れるのは、怖い事です。流れに身を任せるって、素晴らしい。皮肉を込めて。