コウジ的人類史観

前提1:人類は、自らの手で自らの人生を支配するべく努力してきた。
前提2:その努力は、主に潜在的な感情によって支配されている。

仮説:人類が自らを支配する為に考え出した手段として、下記の3つが挙げられる。

  1. 宗教

原始時代の人間は、自然の動きを中心として、人間では無い何らかの巨大な力が働いているという恐怖を持っていた。そして、それらの事象を超人間的な力を味方に付ける事で恐怖を支配しようとしていた。その手段として、宗教が発達した。つまり、恐怖の根源を人間以外の存在に付託してしまう事で一時的にその恐怖から逃れようとしたのだ。
それは、アニミズム?と言われる自然界に精霊を見る原始的な宗教から始まり、論理的思考によって組み立てた学問のような宗教もその根底の機能としては同じ物であると考えられる。
そしてこの原始から引き継がれる恐怖に対しての対処方法は、現在においても人類の文化の根底を構成している重要な要素である。

  1. 政治

衣食住という生きる為に必要な物を、より安定的に調達したいという思いは、古今東西共通の感情だと思う。この感情により発達した手段が政治だ。原始時代においては、やりでお互いを殺しあってより安定した供給を目指したのだろう。
しかし、戦争によって失われる人命等、戦争のその不毛さにも人間は気付くようになりもっと効率よく統治することによって安定した衣食住の供給を目指すようになり、それは様々な統治形態を試している。封建制、共産主義、共和制、民主主義。思いつくだけでも何通りにも渡る統治手法を何千年かけて試してきているのである。
現在において政治という制度が、制度の優劣こそあれ、人類に衣食住をより安定的に供給している事は疑えない事実である。

  1. 経済

恐怖から解放され、人生にとって最低限必要なものが安定して調達できるようになると、より効率良く調達活動を行えるように経済活動を発展させていく。
経済は、それまでの個人の生産を分業化する事で、数十、時には数万倍の生産力を生み出す事になった。それは会社という経済活動を行う組織を作り出す事によって、政治の力を借りないで安定的に衣食住を確保できる事を意味する。

これらの段階を経て、現在の人類があると考える。
そして、この次の段階が、


個人

の時代だと思う。

個人が自分の意思に、より忠実に生きられる世の中。
つまり、前提1で述べた、人生を自分のコントロール下における世の中なのではないか。

これは、個人がその欲求に従って、最低限の衣食住を既存のインフラによって確保しながら、宗教、政治、経済からの自由を確保する時代だと思う。
これが可能になるのは、ITの力が大きく影響すると思う。
つまりは人類の情報処理量が、つい20年前と今で比べようのない位大きくなった。
それによって、今までは宗教組織、政治組織や経済組織に所属しなければ得られなかった、情報が一個人として手に入れられるようになっているからだ。



んー、ここまで書いて、堅苦しいね。
でも、おれの現段階での人類史観はこんな感じ。
それに基づいて、どうやって自分の人生を歩んでいくか考えるのだ。

俺の頭の中に聞きたい。

”こんな感じでよろしかったですかぁ?”