靖国

初めてドキュメンタリー映画を観た。

靖国神社に参拝する。

この行動に賛成の人達、反対する人達。そして、各種団体の人達、小泉首相昭和天皇
これらの人達の、8月15日を中心とした靖国神社との関わり。

そして、それらを紹介しながら、靖国刀と言われる日本刀を作る刀鍛冶のお爺ちゃんに対してのインタビュー。



簡単に内容を説明するとこんな感じでした。



感想。
結局、靖国神社=日本国の戦後処理施設。
戦後処理をどっち方向に受け入れているかの差かな。

プラス方向に受け入れる人は、靖国に参拝し、戦後処理に協力する。
マイナス方向に受け入れた人は、靖国への参拝や、合祀に反対し抗議する。

そもそも、戦争は人間が処理できるイベントでは無いのだから、完全な戦後処理なんてのも無理な話。

でも、不完全ながらでもその戦後処理もしなくてはならない。




国家っていうのも、ひとつの暴力団
防衛力、軍事力と言う強制力を持って、民主主義で法治国家っていうカモフラのもとシマを取り合っていた時代があって、今はそのシマ争いが行き着くところまで行き着いて落ち着いてる。

シマ争いが落ち着いて、そのシマからのあがりを増やそうとしたのが、市場主義経済。
シマの中に競争原理を持ち込み、あがりを増やす。


でも、競争も高度化してきて競争に勝ち残るのが難しくなっている。
だから、格差社会が叫ばれる。

シマを維持していくには、自由を認めなくてはならないので格差があろうが無かろうが、個人が好き放題できる。
暴力団なのに、ヘナチョコな一市民に好き放題させなくてはいけない。
なぜなら、全体最適を考えた時に、暴力を振るうのは下策だという事が解りきっているから。




さて、この暴力団の構成員は誰でしょう?

私たちです。








地球人類という視点で観察した時に、日本国、アメリカ合衆国中華人民共和国
これらは暴力団なのです。



これら暴力団が、シマを手放し、本当の自由を市民に提供した時に靖国神社の問題も解決するでしょう。






しかし、この状態は原始状態の人間と変わりません。
歴史がループする可能性は十二分にあります。

肌の色、使う言語、住む地域によってグループが出来、シマを守る為に武装する。

国家がなくなったとして、こうならないという保障は皆無です。
というか、無理でしょう。





だから、白人と黒人と黄色人種でエッチしまくって、子供を作りまくる。
世界中の学校から、国語の授業をなくして、英語の授業を取り入れる。
結社の自由を世界的に制限する。
すべての契約(国連の条約から、賃貸借契約まで)を個人対個人で交わす。
国連の条約も、起草者個人対60億人、等。


あぁ、疲れた。



でも、こんな事を久々に考えました。