天職

一昨日書いた日記に、コメントをつけてくれた奇特な友人が(笑)

彼は天職を見つけたそうです。

とても羨ましい事です。


彼は、その仕事に命を懸けられるのでしょう。
とっても羨ましい事です。


僕は、今まで経験したどんな仕事にも命を懸けられませんでした。

僕は、幼少時代クリスチャンとして育ちました。
クリスチャンは、ミッションの為に命を懸けます。トム・クルーズのミッションインポッシブル並に命を懸けるのです。

と言っても、この日本において命を懸けなければならないような、宗教的排斥活動はありません。



しかし、クリスチャンとして生きるという事は、いつでもその覚悟を求められるのです。
いつ何時、命を懸けなければならない状況が来るとも限らないという教えを、ほぼ毎日、何らかの形で頭に想起します。
中途半端な気持ちで、熱心な活動をしている信者の人と付き合う事は出来ません。


僕は、23歳までクリスチャンとしての籍がありました。
その23年間、この命を懸けてこの活動をしようと、または、活動をする覚悟をしようと血の滲む精神的努力をしました。



結局、僕はクリスチャンとしての籍をきっぱりと抜きました。
なぜなら、その活動に命(つまり聖書の教える永遠の命を担保にした現在の命)を懸ける事が出来ないと納得したからです。

と同時に、命を懸けられる職業を探す道のりが始まったのです。
試した職業は2つ。
ひとつは、海上自衛隊
もうひとつは、家庭人。


結果から言うと両方とも、命を懸けられるものではありませんでした。

ここまで、天職に出会わない言い訳をしてきましたが、天職に出会いたいと真剣に考えてはいるな、と一人ごちました。



皆さんからみたら、無責任、飽きっぽい等々ご意見があるのは想像が出来ます。

がしかし、これしか出来ないのです。



迷惑が掛かっているのであれば、お詫びします。




でも、お詫びした後で、この質問に答えて下さい。


“僕の人生にどこまで責任持てるの?”