柔道を考える

11月8日に昇段試験を受けます。
不安を胸の奥に秘め、鼻腔に強烈な汗臭さを我慢させた道場見学の日。
早いもので、一年です。

一番安価な柔道着を購入し、黒帯になったら良い柔道着を買おう、と心に決めました。


もう少しで、買えそうです。


しかし、まだまだ弱い。
何が弱いか、自分の柔道を見つけ切れていない。
でも、この一年で進歩したのは、自分の柔道って自分で決めるものだという事実に気がついたこと。

柔らの道と書いて、柔道。

よく、“道”がつくものを教育のためにやらせるって言いますよね。


ま、ただやらせているだけじゃ意味ないだろうけど、真剣にやるとやっぱり良い。



自分の“道”って自分でしか決められない事に気付くから。
そして決めた道は、死ぬまで続く。ネガティブではなく、死ぬまで追求できる。




それが“道”の良いこと。

たぶん、格闘技だけじゃなく、職人道みたいなものも同じなのでは?




自分で自分をオーソライズしながら、少しづつ歩む“道”。



これが解っただけでも、柔道をやっている意味がありました。


今までの自分の問題は、自分で自分を認めてやっていないことなんじゃ?
だから、いつも第三者からのオーソライズを求めていた。

クリスチャンの時は、自分の組織以外の一般人から。
今は、得体の知れない“世間”から。
結局、一緒ですね。第三者ってこと。


歩いている自分を認め、その先を追及する。これが理想ですね。
なんか、今までの自分はバラバラだった。

歩いている自分を認める時には、認めてその道は終わり。歩くのを止めちゃう。
そして、別の道(と思いたい)を追及する時には、今までの自分を否定してからスタート。


うん。この感覚。良いですね。

“セレブの回り道”ならぬ、“セレブの途切れ道”って感じだったのかな。


このブログの題名、良い得て妙なり。ナイスセンスですな。

今日から初めよう!!、変わるなら今!!
見たいなのを見すぎてたのかな。


昨日の自分より、少しでも自分らしくなる努力。
これですね。
あくまでも、自分の理想。自分の道。自分の欲求。

このアイディアは、みうらじゅんさんを見ていて思いついたところもあるんですがね。
あの人の自由さって一種憧れる所があって、社会にとって意味があるとか無いとか、関係無い。
自分が好きで、面白いと思ったら、それを実行する。

それが、みうらじゅん道として、世間に認知されているんだなぁ、って思いました。